過去の展覧会2009の最近のブログ記事

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新春展
山口蓬春とやまと絵--新興大和絵会時代を中心に--
開催期間:2010年1月7日〜3月28日
この展覧会は終了しました。


日本の絵画は、古来より中国絵画の影響を受け発展してゆきますが、日本独特の感性によって風景や風俗を描いたやまと絵と呼ばれる絵画が平安時代初期に生まれます。以来、やまと絵はその様相を変えながら多様に発展し、室町時代に入ると土佐派によってその技法が受け継がれますが、伝統的な様式を固持し続けることで新鮮さを失い、やがて停滞してゆきます。しかし江戸時代末期になると、古いやまと絵を見直し土佐派の様式とは違う新しいやまと絵を創ろうとする復古運動が興り、また明治時代に入ると西洋からの多様な文化と比較され、伝統的なやまと絵の古典様式が改めて人々を魅了することとなりました。
そのような時代を背景に、山口蓬春(1893-1971)は、東京美術学校日本画科において、やまと絵の大家である松岡映丘(まつおか えいきゅう・1881-1938)から指導を受けます。卒業後は映丘が主宰する新興大和絵会の同人として活躍し、大正15年(1926)の帝展に出品した《三熊野の那智の御山》など優れた作品を残しています。
やがて蓬春は映丘から離れ画業に邁進しますが、「大和絵がいけないといふのではない。大和絵は......昔でいへば局部的に発達し完成したもので、当時にあつては合理的であつたし、その時代の感覚なり趣味なりを通じての写実であつたし、その時代のある思潮の中心に触れていたと思ふ。そういふ事を理解すればするだけ、吾々の、今の感覚、つまり吾々の現在の時代に対する認識から来るある感情が、あの形式を最上とすることを許さない。」(『アトリヱ』昭和7年3月号)と述べているように、蓬春は伝統的なやまと絵技法に触れたことで、新しい日本画創造への関心が沸いたのではないでしょうか。戦後、西洋の絵画表現を取り入れ、やがて独自の格調ある表現を築き日本画壇に一筋の方向を示しますが、映丘というよき師のもとで研鑽を積んだことは、蓬春にとって重要であったのです。
本展覧会では、蓬春の多岐に亘る画業の中でも基盤となった新興大和絵会時代に焦点をあてると共に、あわせて蓬春が収集したやまと絵のコレクションも展示し、日本人の感性が生んだ伝統的な古典美の魅力に迫ります。

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初冬特別展
山口蓬春と加藤栄三--葉山に育まれた友情--
開催期間:2009年10月10日〜12月23日
この展覧会は終了しました。

山口蓬春(1893-1971)は、大正12年に東京美術学校を卒業後、松岡映丘(1881-1938)率いる新興大和絵会に参加し、古典絵画の基礎を築きながらも西欧の近代絵画に強い関心を抱いていました。一方、加藤栄三(1906-1972)は、昭和6年に同校を卒業後、日本画に洋画的写実を導入した結城素明(1875-1957)に師事、昭和11年新文展鑑査展で《薄暮》が文部大臣賞を受賞するなど、衆望を担います。
戦後間もなく、日本画滅亡論が叫ばれていた時期、二人は現代の日本画のあり方を模索していました。また、それぞれ神奈川県葉山町に転居し、以後、二人の生涯にわたる友情が紡がれてゆきます。
昭和30年、第11回日展に栄三が出品した《石庭》や同じ石庭に調和のとれた構成美を見出した《月》(昭和32年)からは、抜群の素描力によって対象そのものの持つ美に迫ろうとするアプローチが見受けられます。
一方、その頃の蓬春は、《まり藻と花》(昭和30年)にみられるような写実表現を経て《新冬》(昭和37年)へと続く清澄で格調ある作風へと展開させるなど、新しい日本画の創造を探求してゆきます。
本展では、葉山を舞台に友情を育んだ山口蓬春と加藤栄三の作品を通じて、それぞれの美意識の在処を探ります。
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秋季展
琳派に魅せられたモダニスト--山口蓬春コレクションを中心に--
開催期間:2009年8月13日〜10月4日 
この展覧会は終了しました。

江戸絵画の代表的な流れの一つである琳派芸術は、20世紀以降その美が再評価され、多くの近代美術家たちが関心を寄せました。山口蓬春(1893-1971)も戦前より俵屋宗達・尾形光琳らの芸術に憧れ、積極的に研究し、《扇面流し》(1930年)、《春汀》(1937年頃)など琳派的傾向を示す作品を制作しました。
戦後に入りモダンな新様式の確立を経て、蓬春は「新日本画」の世界を展開してゆきます。《白蓮木蓮》(1958年)や《花菖蒲》(1962年)などの作品にみられる洗練された構図や近代的な明るさは蓬春芸術の大きな魅力であり、またそこにはかれが戦前より研究を重ね体得した琳派芸術の真髄が窺われます。
本展では、蓬春コレクションによる宗達・光琳などの近世絵画と琳派に触発された近代の画家たちによる作品のほか、山口蓬春文庫より100冊にも上る琳派関連の書籍から稀覯本を展示し、モダニスト・山口蓬春が、やまと絵の伝統に新たな装飾美を見出した琳派の先達に私淑し、自らの芸術を展開してゆく過程を紹介いたします。


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夏季展
山口蓬春と近代絵画--蓬春ゆかりの作家たちを中心に--
開催期間:2009年6月5日〜8月2日
この展覧会は終了しました。

山口蓬春記念館には、日本画家・山口蓬春(1893-1971)の作品並びに蓬春が蒐集した美術品が多数収蔵されています。蓬春は、戦前から帝展など中央の画壇で活躍し、昭和40年(1965)には文化勲章を受章するなど、常に画壇における重要な位置にいたことから、多くの著名な作家たちと知り合うことにもつながりました。そのことは蓬春が旧蔵していた美術品などにも見受けられ、六潮会で同じ仲間だった福田平八郎・木村荘八・牧野虎雄・中川紀元などの作品からは、共に研鑽を積むだけでなく、有意義な交流を育むすがたが想像できます。また蓬春による吉川霊華の模写などからは、創作する上で深い関心を寄せていたことを窺うことができます。さらに戦時中には従軍画家として藤田嗣治らと行動を共にし、戦後はいち早く西洋近代絵画の作風を取り入れ「蓬春モダニズム」と称されるなど、画壇に一筋の方向を示し多くの後進たちを育てました。
このように蓬春の画業を辿っていくと、時代とともに多くの作家たちとの交流や創作活動における模索の跡を見ることができます。
本展覧会では、館所蔵作品の中から、蓬春も関心を寄せていた近代の作家たちに焦点をあてて展示し、蓬春の多彩な交友を探っていきます。

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春季特別展
山口蓬春・絵の秘密--蓬春が語る「新日本画」の世界--
開催期間:2009年3月27日〜5月31日
この展覧会は終了しました。

山口蓬春(1893-1971)は、東京美術学校西洋画科に入学するも日本画科に転科し、以後、戦前から戦後へと時代が激しく移り変わるなかで「新日本画」の創造を目指し邁進し続けました。蓬春が著書やインタビューのなかで度々語る「新日本画」という言葉からは、その創造に掛ける強い意志を窺うことができます。
では、蓬春が目指した「新日本画」とはどのようなものだったのでしょうか。
戦前の蓬春は、やまと絵を通じた有職故実や古典技法を学び、さらに琳派や宋元院体画などの研究にも精を出しました。一方、セザンヌやピカソ、ボナールなど西洋近代絵画の複製画を収集するなど常に新しい日本画の可能性を模索し追究していきます。そして昭和7年(1932)に刊行された著書『新日本画(風景)の第一歩』(アトリヱ杜)において初めて「新日本画」という言葉をタイトルに使いました。
戦後は、戦前の研鑽を踏まえ、「新日本画」創造への姿勢がより一層強く打ち出されるようになります。昭和22年(1947)の《山湖》を皮切りに次々と日本画壇にモダニズムの新風を吹き込み、静物画や花鳥画にテーマを絞り込みながら蓬春独白の清澄な色彩による画風を展開していきます。特に昭和26年(1951)に刊行された『新日本画の技法』(美術出版社)では、蓬春の「新日本画」に対する考え方が顕著に表されました。
「新日本画の創造と言う事は、今始まった事ではなく、既に幾度も言い古されて来た事で、必ずしも珍しい問題ではない。然し、いつの時代にも、新しい日本画の創造と言うことを心掛けて、果敢に前進しようとする作家が居なければ、芸術は進展しないのである。時代や社会は常に進み動いて居るのであるから。」
本展では、蓬春の言葉の軌跡を辿りながら、その作品やコレクション、残された画材類を通じて蓬春が求めた「新日本画」の世界を読み解いていきます。


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